数列の極限

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その先にあるものは

数列が有限項で終わるのならば全体像を観察することができるので性質を見えやすい。では無限に続く場合はどうだろう。当然無限にあるので全体を観察することは簡単には出来ない。ただ簡単には出来ないだけで全く出来ないわけではない。それが極限を考えるということである。

例えば次の数列を考えよう。 $$ a_n=\frac{1}{n} \tag{1} $$ $n$ を特に制限しなければこの数列は無限に続く。では $n$ を大きくしていくとどうなるだろう。順番に考えていくと、$\dfrac{1}{1},\dfrac{1}{2},\dfrac{1}{3},\cdots\dfrac{1}{100},\cdots\dfrac{1}{10000},\cdots$というように、どんどん小さくなっていくように見える。これは実際どんどん小さくなっていき、具体的には0にどんどん近づいていく。このとき、数列 ${a_n}$ の極限は0に収束すると言う。別の場合を考えてみよう。 $$ b_n=n \tag{2} $$ この数列の極限はどうなるだろうか。こっちは $n$ が大きくなるにつれて数列の値もどんどん大きくなる。このように際限なく大きくなっていくような数列は、発散するという。${b_n}$ は正の無限大に発散している。

以上の例では数列の極限について文章で記述していたが、それでは長くなってしまい書くのも面倒なので新しい記法を導入しよう。上の数列 ${a_n}$ の極限については、 $$ \lim_{n\to\infty}\frac{1}{n}=0 $$ ${b_n}$ については $$ \lim_{n\to\infty}n=\infty $$

ではこの極限は常に存在するだろうか。次の極限を考えよう。 $$ c_n=(-1)^n $$ この数列は $1,-1,1,-1,\cdots$とどんどん続いていく。前のように極限を考えようとしてもどんどん大きくなっていくわけではないし、収束するとしたら収束先が $1$ か $-1$ かをはっきりと定めることが出来ない。このような場合も発散すると言うのだが、より性質を表した言い方として振動すると言うこともある。

これは難しいな…

ここで少し実数について一歩立ち入ったことを考えよう。今まではなんとなく実数というものを使ってきたが数学的にはどのように定義されているのかは特に触れなかった。ここでも定義とは言えないのだが、実数が満たしているべき性質を紹介しよう。

実数の特徴の1つとして連続性というものがある。簡単に言うと切れずにつながっている、というものだ(がこれもなにか違う気がする)。似たような概念に稠密性というものがある。こちらはある数と数の間にも数が存在する、というものだ。切れずに繋がっていれば当然数と数の間には別の数があるといえるので実数には稠密性があるといえる。有理数にも稠密性はあるが、こちらには連続性はない。ここらへんで戸惑う人が多いと思うが、連続性について知ればいくらか困惑は抑えることができると思う。

連続性の定義には同値なものがいくつかあるが、ここでは上限・下限の存在として定義しよう。まず上限とはなにか。これは最大値を拡張した概念である。例えば数の大きさが定義できる集合 $X$ の部分集合 $A$ について、$A$ の任意の元についてこれよりも大きい $X$ の元を集めた集合 $M$ (上界と言う)の最小値が上限である。これが教科書に書かれているような定義だがつまり、$A$ のどの元を取ってきてもそれより小さくならないギリギリなもとの集合の元が上限である。下限は上限を逆にしたもので、最小値の拡張だ。表記の仕方は上限は$\sup A$、下限は$\inf A$である。当然上限が無限大になることもありえる。

では上限と最大値は何が違うのか。それは見ている範囲が違うのだ。最大値の定義は部分集合 $A$ のどの元よりも小さくない $A$ の元である。最大値では部分集合しか見ていないことがわかるだろうか。そのため最大値は存在しないことがある。上限の場合は上の記述をよく読んでもらうとわかると思うが、全体集合まで見ている。これが上限と最大値の違いだ。

ようやく上限の存在について説明しよう。上限は必ず存在するだろうか。実は言えない。有理数を全体集合としよう。よく使われる例として次のような部分集合を考える。$A=\{x^2\lt2 \mid x\in \mathbb{Q}\}$を考えよう。ここで$\mathbb{Q}$は有理数の集合である。この集合に上限はあるかというとない。証明は省略するが、$\sqrt{2}$は有理数ではない。&A& の元を下回らないようなギリギリの有理数というのは存在せず、どんなにギリギリに近づけようとも有理数の稠密性から必ずよりそれよりも小さくなる有理数が存在する。つまり有理数の範囲ではこの集合 $A$ の上限は存在しないのだ。

少し話を戻すが、連続性がないと数列の極限は必ずしも存在すると出来ないのだ。連続性がないと発散しないときでも収束先がないことがあるのだ。数列は実数の範囲で考えていた。複素数を考えないと実数が数の一番大きな枠である。最大の枠でも極限が考えられないのは都合が悪い。連続性があれば収束先が必ず存在するので実数には連続性を導入するのだ。実数の部分集合には上限があることによって連続性を取り入れることができるのだ。

ボルツァノ・ワイエルシュトラスの定理

数列の極限を考えるために重要な定理を1つ紹介しよう。必要な概念を導入していく。まず $a_{n+1}\ge a_n$ となるような数列のことを単調増加数列という。逆は単調減少数列という。また、上限が存在するような数列のことを上に有界であるという。下限が存在する場合は下に有界であるというわけだ。上にも下にも有界な場合は有界であると言える。1つ重要なことは、実数の連続性から上に有界な単調増加数列は収束するということである。証明はしないが、数列の極限の存在を示すときによく使われる手法なので覚えておくとよいだろう。

もう一つ、部分列というものを導入するこれはある数列$\{a_n\}$について、そのいち部分を取り出した数列である。ただし、前の番号には戻らない。どういうことかを具体的に表すと、$\{a_n\}$について$a_0,a_4,a_8,\cdots$のように4の倍数の番号だけ取り出したものなんかは部分列である。$a_1,a_4,a_2,\cdots$というようなものは部分列ではない。

定理の内容を見ていこう。内容は「有界な数列は、収束する部分列を持つ」というものだ。証明はしないが、連続関数の性質の理解には覚えておいたほうが良い定理である。